近代政治史vol.1 著者:刈和野
I.
「本格的」という言葉の謎
「初の本格的な政党内閣」とは、いったいなんだろうか。
言わずもがな、原敬内閣のことだ。正直に言おう、「キモイ」。中学の教科書で初めてその文字を読んだとき、私は直感的にそう思った。
「初の政党内閣」は、第一次大隈内閣である。生意気にも私は、中学校の社会科教員にそう食ってかかった覚えがある。その時の回答はうろ覚えだが、たしか「陸軍大臣や海軍大臣といった軍部を除き、すべての閣僚が政党員で占められているから」との旨の説明だったはずである。しかし、第一次大隈内閣も軍部大臣以外は政党員である。なおさら良く分からなくなる。そのうち、教科書そのものを疑いだすまでになってしまった。
「本格的」とはなんだろう。常に中学校の頃、頭をひねらせた難問だった。
II.
言葉の意味
今ならその「難問」に、簡単に答えを出すことができる。すなわち、①軍部大臣以外の閣僚が政党員であり、②長期にわたって安定している、初めての内閣であること。これこそが、そのフレーズを原内閣の代名詞足らしめているのである。
具体的に検討しよう。先に挙げた「初の政党内閣」である第一次大隈内閣は、短期間で崩壊する。なぜならば、母体となった憲政党は、方向性の異なる政治家の寄せ集めだったからだ。明治期日本における二つの政党、板垣退助の「自由党」と大隈重信の「立憲改進党」については、それこそ中学の教科書の範囲であるため、ここでは説明を割愛する。重要なのは、この内閣が成立する直前に、両者の系譜が大合併したことだ。これにより、議席のほとんどを占める、空前絶後の大政党が誕生する。侍ジャパンのような、最強のドリームチームである。
しかし、簡単に帰属意識が変わるはずがなく、不祥事で閣僚の席が一つ空いた途端に、両者に属していた政治家同士でもめはじめる。こうして、第一次大隈内閣はわずか四カ月で崩壊する。これは、上記に挙げた定義のうち、②長期間の安定という条件に反する。だから、この内閣は「本格的」ではないのだ。
次に、ほかの政党内閣を考える。よくある勘違いだが、原以前の「政党内閣」自体は少なくない。時系列順に、第一次大隈内閣、第四次伊藤内閣、第一次西園寺内閣、第二次西園寺内閣、第二次大隈内閣、そして原内閣となる。その間には、四つもの政党内閣が存在するのだ。これらは「本格的」ではないのだろうか。
実のところ、これらの諸内閣には、軍部大臣以外にも非政党員が、なにかしらの閣僚に就任している。詳しくは各自で調べてほしいが、これにより①軍部大臣以外の閣僚が政党員である、という定義から外れてしまう。そのため、これらもまた「本格的」ではないのである。
したがって、①と②の両方を満たす「本格的」な初の政党内閣は、原敬内閣をおいてほかにないのである。
III.
「平民宰相」
ここまでの説明を聞き、「なんだか複雑だ」と思わなかっただろうか。私自身、とてもそう思っている。原敬内閣の意義を強調したいのは理解できるが、その背景と定義をきちんと理解できている中高生はどのくらいいるのだろうか。
「初の本格的な政党内閣」という表現を差し置き、原敬内閣の存在感を強調したいなら、次のような説明もすることができる。すなわち、「初の爵位を持たない総理大臣であるため、その意義は大きいのだ」と。
事実、前章で挙げた政党内閣の総理大臣である大隈、伊藤、西園寺は全員爵位を保有している。つまりは華族だ。衆議院議員として国家のトップになったのは、原敬が初めてなのである。これは、「平民宰相」の由来でもある。原は平民であることにこだわりを持っており、何度か爵位を得る機会はあったものの拒み続けていた。総理大臣のキングメーカーであった山県有朋が、「原内閣」を躊躇していた理由のひとつがここにある。
たしかに、閣僚ほぼすべてが政党員の内閣が、安定して政権運営を行えるようになったその意義は、政治史的にとても大きい。しかし、こと初学者向けの教材においては、「平民宰相」的な側面や意義を、それより前面に押し出しても良いように私は思う。ともすれば、「初の衆議院内閣」とでも形容すれば、おさまりが良いのではなかろうか。
IV.
原敬という政治家
「平民」宰相という言葉の意義がどれほどあるのかと、厳しく問う歴史学者もいる。当時の日本では、税金を一定額納めなければ参政権がなく、その金銭制限を完全に取り払おうとする普通選挙運動が盛り上がった。だが、原敬はこれを「時期尚早」として抑制する側に回っている。その背景には、同時代にロシア革命が発生していたことも関係しているが、ひとつ言えることとして、間違いなく原敬は単なる「大衆の庇護者」ではなかった。
しかし、彼の内閣により、デモクラシーに一歩近づいたことも事実である。そこは、私も教科書と同じ方向性の意見を持っている。けれど、やはり「初の本格的な政党内閣」という文言はキモイ。私の性格から、その違和感はぬぐえないのである。
V.参考文献
岡義武『近代日本の政治家』(岩波書店、2019)
清水唯一郎『原敬─「平民宰相」の虚像と実像─』(中央公論新社、2021)